自分の感情ばかりを押しつけた歌は、けっして流行歌にはならない。みんなが共有したくなる歌になってこそ、初めて流行歌になっていける。 Neo歌謡曲シンガーの山川陽彩と、名プロデューサー&コンポーザーの樫原伸彦が対談!!
「Neo歌謡曲」の新たな担い手として注目を集め出しているのが、歌手の林寛子が作詞を手掛けた「抱きしめてアマポーラ」を歌い、シングル・デビューを果たした山川陽彩。このたび、山川陽彩が作詞:池永康記/作曲:樫原伸彦という黄金コンビによる「あの夏の約束」のレコーディングを行なった。 本作には、長渕剛の盟友でもあるギタリストの笛吹利明も参加。同楽曲の魅力や、楽曲が産まれるまでの経緯を、山川陽彩と樫原伸彦が、対談という形で伝えてくれた。
歌声って、天性の授かり物。その才能を持っていたからこそ、「彼に自分のメロディーを歌わせたい」と強く思ったことから声をかけたところ…。
――まずは、2人の出会いから教えてください。
山川 出会いは2年前になります。最近話題の配信プラットフォームViSUALIVEを立ち上げたアーティストの佐倉仁さんが主催し、僕の最新曲「あの夏の約束」の作詞とプロデュースを手掛けてくださった池永康記さんがオーガナイザーのイベント「NEXT GENERATION」(ネクジェネ)に参加した事が、物語の始まりです。ネクジェネは才能ある若手アーティストを発掘育成、ベテランアーティストとの交流を目的としたイベント。当時の僕はバンドとして参加。そのイベントに僕らのバンドは、いつしか定期的に出演するようにもなっていました。そのイベントへ、樫原さんがプロデュースしているシンガーの鈴湯さんが出演。樫原さんと康記さんは、今も一緒に仕事をしていて、すでに何十年と一緒に楽曲を制作している旧知の仲。樫原さんは、その後もフラッとネクジェネに顔を出していたのは知っていました。ただ、本当に著名な方なので、自分からどうこう話しかけるのはおこがましいなと思っていたところ、樫原さんが僕らの物販ブースへ足を運び、声をかけてくださったことが、言葉を交わすという面では最初の接点になります。
樫原 以前から康記さんには、「こういうイベントをやってるから観に来てよ」と言われていたし、その縁から鈴湯もブッキングしたんですけど。毎回、いろんなアーティストがネクジェネに出演していく中、実は一番気になっていた歌い手が陽彩くんだったんだよ。
山川 そうだったんですね。その言葉、嬉しいです!!
樫原 当時はバンドのヴォーカリストとして歌っていたけど。ライブを観たときから「この子はソロアーティストとして…一人の歌い手として活動をしたほうが、才能が生きるな」と思ってたんだよ。忌憚のない意見として言うなら、当時のバンドとしての未来は僕には見えなかった。でも、「このヴォーカリストにポップスや歌謡曲を歌わせたら、すごく映える。一度、そういう曲を歌わせてみたい」という気持ちがあった。それで、一度気持ちを確認しようと物販ブースに行って、どういう意志を胸に活動をしているのか?バンドとしてやりたいのか?ソロとしてもやりたい気持ちはあるのか?も、さりげなく探るような会話をしたところ、「バンドでやっていきたい」と。彼の返答次第では「バンドは辞めて、ソロでやったほうがいいよ。そうしたら一緒にやろう」と言おうとも心の中で思っていたけど。でも、バンドで勝負したい強い気持ちを持っていたから、当時は「そうか、頑張ってね」という形で、僕の想いは心の中へ納めた形でした。
山川 僕からしたら、こんな凄い人からいろんな前向きなアドバイスをいただけたことが嬉しかったんですけど。「ホンマに言ってるのかな?」とも疑ってて(笑)。
樫原 彼の歌声は、本当に魅力的だし、個性豊か。歌声って、天性の授かり物。その才能を持っていたからこそ、「彼に自分のメロディーを歌わせたい」と強く思い、それで誘いをかけようかと確かめにいったんだけど。当時の陽彩くんの「バンドでやりたい」姿勢を崩してまで誘うのは違うかなということや、ネクジェネもコロナ禍で開催が難しくなったことから、彼とも自然と距離を置く形になってしまったんですよね。そうしたら、いつの間にか歌謡曲を歌ってて、ソロとして作品も出すって言うじゃない(笑)。
山川 そこへ至るまでの経緯をお話しますと。以前の僕は役者として活動をしていました。でも、自分を本当に生かせる環境を求めたときに「歌の世界で羽ばたくべきだ」と答えを導きだし、それで4年前から音楽活動を始めました。それで、バンドを結成したんですけど。今もそうですが、当時の僕は、まだまだ音楽的な経験値が欠けていました。そのためにも「いろんな音楽的な経験値を積んでいかないと駄目だ」と思い、バンド活動を続けながら、やはりネクジェネで出会ったヴォーカリストの中島満雄さんに弟子入りし、ボイトレに通い始めました。今も通っています。バンド以外にも、さらに自分の音楽面での素養を磨く場を探していたんですね。そのときに知り合いの方から紹介を受けたのが、「第二の純烈」のような歌謡曲を歌うグループのメンバーオーディションでした。僕自身も一回でも多くリアルなステージを経験し、歌唱力をもっと磨きたかったから、そこへ参加。バンドと歌謡曲グループという二足の草鞋という活動を、じつは行なっていました。が、昨年からのコロナ禍の影響でバンドのライブ活動も休止を余儀なくされ、歌謡曲の世界一本で勝負しようと決めました。その流れから林寛子さんとも出会い、ソロとしてのデビュー曲「抱きしめてアマポーラ」(作詞:林寛子/作曲: 笠間千保子)のリリースへと繋がっていきました。昨年12月に、出来たばかりのCDを持って、康記さんに報告に行き、今後の夢を熱く語りました。そこから止まってた時計が動き出した感じで、今への縁へと繋がりました。後で聞いたんですが、樫原さんも康記さんも僕のTwitterで、僕の動きはチェック済みでしたけど(笑)
樫原 僕や康記さんにしてみれば、ソロアーティストが似合う歌い手だと最初から思っていたから「ようやく踏みだしてくれたか」という気持ち(笑)。しかも、「歌謡曲を歌って勝負する」と言うじゃない。「まさに、そういうことだよ」って心境だよね。
「あの夏の約束」は、康記さんと俺が、「こういう曲を山川陽彩には歌わせたい」という想いを持って作り上げた歌。
――"Neo歌謡曲シンガー"という道へ踏みだしたことで、いろんな出会いも増えたんじゃないですか?
山川 そうなんです。僕の歌手名でもある山川陽彩も、1stシングル「抱きしめてアマポーラ」の作詞を手掛けてくださった林寛子さんに命名していただきましたし、デビューワンマン公演も、林寛子さんのお店で行いました。ソロシンガーとしてのスタートのきっかけを頂いた事に凄く感謝しています。僕自身がセルフプロデューサーという位置をしっかり保ったうえで、いつか、必ず、結果を出す事がお世話になった方々への恩返しだと思っています。今は、我武者羅に頑張りたいと思っています。
樫原 そういう男気のあるところも、一緒にやりたいなと思えた大きな魅力だよね。今回、陽彩くんに歌ってもらった「あの夏の約束」は、康記さんと俺が、「こういう曲を山川陽彩には歌わせたい」という想いを持って作り上げた歌。正直、上手さだけを求めるのではなく、この楽曲の持つ世界観をどれだけ感情の生きた歌として伝えられるかが肝だと思ってて、それをどこまで表現してくれるのか?その期待も込めて作ったんだけど。みごと、その期待に彼は応えてくれたからね。
山川 「あの夏の約束」の音源を聞いた瞬間から、僕の中ではドツボすぎるくらい気持ちがハマッた楽曲でした。ただ、あまりにも感情が籠もりすぎちゃって・・・そこはレコーディングで樫原さんにいろいろアドバイスをいただきつつコントロールしていきました。
樫原 歌入れを始めたとたん、頭の部分から強く気持ちを込めて歌っているのが伝わってきたんだけど。もちろん、それは悪いことじゃない。でも、聞いてる側には、それじゃあまりにも感情がtoo much過ぎてしまう。確かに「あの夏の約束」の主人公は悲しみに暮れ、心は泣いている。だけど、ずっと泣いているわけでもなければ、「あの夏の約束」は主人公の感情ばかりを歌っているのではなく、そこには情景描写なども映し出されている。そういうニュアンスもしっかり汲み取ったうえでこそ生きる歌なのに、ただただ泣き続けてしまうと想像の幅や余韻まで奪ってしまう。なので、「たとえそういう想いを胸に抱えてたとしても、表だってそうは出さないでしょ」「そういう風にはしゃべらないよね」といろいろアドバイスをし、少しずつ肩の力を緩ませながら、求める形に持っていったわけなんです。
山川 そこは、とても勉強になりました。確かに、聞いた人それぞれに想いを浮かべる風景も違うように、僕の気持ちを押しつけるのでなく、聞いた人たちが自分と重ね合わせ、想いを浮かべてこそ「良い歌」になるわけですからね。そこを今回、樫原さんに教えていただけたことが自分の成長にも繋がりました。
樫原 自分の感情ばかりを押しつけた歌は、けっして流行歌にはならない。みんなが共有したくなる歌になってこそ、初めて流行歌になっていける。だって、「お前の失恋体験はそうかも知んないけどさ、それをこんなに熱く歌われても」って、普通はなってしまうじゃない。
山川 ほんと、そうですよね(笑)。
もう、絶対にコケられないですよね。
――樫原さんや康記さんにとって、山川陽彩さんに歌ってもらうのに相応しい歌謡曲は、やはり「あの夏の約束」のような楽曲だったわけですよね。
樫原 僕自身は、彼の歌声に一番似合うメロディーやサウンドを当てはめられたなと思っているし、康記さんの歌詞も、僕と気持ちは一緒だと思います。「あの夏の約束」のAメロでは、陽彩くんの持つイケメンボイスをしっかりと生かせたし、全体的にも、彼の持つハスキーだけど泣きのある歌声を最大限に生かせるメロディーや言葉、構成にしていきました。じつは本番のレコーディングへ挑む前にも、何度か歌の音源のやりとりをしながら、彼の伸びしろを見てきたんだけど。アドバイスを送るたびに成長していくのは、もちろん。僕や康記さんが求める姿にどんどん近づいていく。その姿を確認し続けてきたことが、僕ら自身の気持ちをさらに動かしていった。それこそ、最初は「この歌い手、イケるんじゃない?」という気持ちが、「この歌い手は、イケるよ」という確信に変わっていった。だから、自然といろんな人たちが山川陽彩のためにと協力の手を差しのべたわけだし、それが今回の「あの夏の約束」という楽曲制作へと繋がったわけだからね。
山川 長渕剛さんの盟友でもあるギタリストの笛吹利明さんまで、レコーディングへ参加してくださいましたからね。
樫原 笛吹さんとは、僕も尾崎豊の仕事以降いろいろご一緒している方。魂を歌うアーティストの楽曲たちに魂を抱いたギターの音色を吹き込み続けている方だからこそ、「あの夏の約束」にも、どうしても笛吹さんのアコースティックギターを通した魂の音色を吹き込んでもらいたかったんですよね。それに、錚々たるアーティストと共演し続けているギタリストの音と山川陽彩という歌い手がどう対峙するのかも見たかった。笛吹さんは大物アーティストたちと共演している方、陽彩くんのような新人の子の仕事を受けることはない人だけど。デモで録った彼の歌声を送ったら快くOKしてくださった。その気持ちが、僕らも本当に嬉しかったことでした。
山川 もう、絶対にコケられないですよね。
樫原 見る人から見たら、「なんであの若い歌い手は、あんなにも凄い才能を持ったおじさんたちばかりを引き連れて活動してるんだ?」「普通、あの制作布陣は集まらないよ」となるメンツだからね(笑)。
山川 ヴィジュアル面のプロデュースは、やはりネクジェネで知り合ったカリスマヘアメイクの柳延人さんに担当して貰います。近日、ジャケット写真を撮るんですが、写真集は400冊を超えるレジェンド、山岸伸さんに撮影していただきます。さらに大物の方が加わりますからね。また、今回レコーディングしてるVersion Studioを運営する株式会社オクターブミュージックの中村亮社長が、僕のエージェントに名乗りを上げて頂きました。亮さんともネクジェネで知り合いました。基本は、セルフプロデュース。可能な限り自分で責任を持って活動します。が、まだまだ右も左も判らないので、活動全般を全面的にサポートして頂きます。これ、本気でコケられないです!!
是が非でもヒットさせます!!
――「あの夏の約束」は、どういう形で世の中に出るのか、そこも教えてください。
山川 今回は、Take Out Liveという形で、6月17日(木)にリリースします。これは、Webで予約して、全国のセブンイレブンのレジで決済~QRコードを受け取る。そのQRコードをスマホやタブレットで読み込みダウンロードして視聴するサービスです。その中には楽曲や映像など、いろんなコンテンツが入ります。今、その制作も着々と進めているところです。この記事が出る頃には、無料お試しQRコードを配布開始してると思います。詳細は、僕のHP、Twitterでお知らせしていきます。
――樫原さん自身、今後も陽彩さんの制作を続けていく形なのでしょうか?
樫原 この歌声とキャラクターを相当気に入ってしまったので、これからも康記さんともども楽曲提供やプロデュースをやっていくつもりです。僕自身、康記さんとは長年一緒に多くのヒット曲を作ってきましたけど。「あの夏の約束」も、「これは絶対に世の中に浸透してゆく歌になった」という強い手応えを感じています。それこそ、いろんな方々がカラオケで歌いたくなるだろうなと。そういう場で親しみ、広がっていく曲になったなと思っています。それくらい満足も、納得も、自信にもあふれた楽曲になったからこそ絶対にヒットさせたいし、僕らもコケられない気持ちですから。
山川 是が非でもヒットさせます!!
樫原 僕も、康記さんも、「この曲が人生最後の歌になっても後悔はない」くらいの自信作。だからと言って、これで終わりではなく(笑)。だからこそ、ここから最高のスタートを切って、未来へ向かって最高を更新し続けていきたいんですよ。
山川 その言葉゛嬉しすぎます!!もうやるしかないです!!!
――Neo歌謡曲シンガーの山川陽彩が、Neo歌謡曲シーンへどんな旋風を巻き起こすのか。そこさえも凌駕し、音楽の世界へどんな影響を与える歌い手に成長していくのか、そこを楽しみにしています。
山川 ありがとうございます。僕が定義するNeo歌謡曲とは、時代を超えて、世代を超えて、歌い継がれ、聴き継がれ、聴く人の「心」「夢」「人生」「喜怒哀楽」「生活」に寄り添うような歌、それが「Neo歌謡曲」だと思っています。今、YouTube上にもいろんな歌謡曲をカバーした動画もアップしているので、まずは、それを僕の歌声の自己紹介変わりに見てください。これからは、「こいつ、一体何をやらかすんや?!」というくらいのことを、おじさんたちと積極的に仕掛けていきますから。
樫原 そういう彼の人柄が、おじさんたちの気持ちを動かして、いろんな人たちを集めているんだなと思いますよ。僕らチームが、そう。「この子だったら応援したいよね」という気持ちに引き寄せられて動いている。もちろんアーティストである以上は実力も必要だけど、最終的には人柄なんだよね。本当に長く活動している人たちはみんな、人柄が良い人たちばかり。でないと、長く一緒にはできないから。
山川 その期待に応えられるように、頑張ります!!
【TEXT:長澤智典】
★インフォメーション★
■6月17日(木)「あの夏の約束」Take Out Liveにてリリース!!
現在、無料お試しQRコード配布中!!
「あの夏の約束」ワンコーラス、山川陽彩メッセージが視聴できます
Take Out Liveアプリをインストール、QRコードを読み込めばOK!!
Take Out Liveアプリはコチラ
https://www.takeoutlive.com/demo
「あの夏の約束」YouTubeスポットCM
https://www.youtube.com/watch?v=xTnFLDAEVLA
■山川陽彩HP&SNS
山川陽彩Official Site
山川陽彩 Twitter
https://twitter.com/hiiro_yamakawa
山川陽彩 BLOG
https://ameblo.jp/yamakawahiiro
山川陽彩 公式YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCi78FUNr7uAayzNW_Io-0Uw
山川陽彩 Instagram
https://www.instagram.com/hiiro.yamakawa/
山川陽彩 facebook
https://www.facebook.com/profile.php?id=100054963930056
■山川陽彩エージェント
(株)オクターブミュージック
■山川陽彩 略歴
1991年1月13日生まれ
兵庫県神戸市出身、A型
両親は教育者
7歳の頃から野球を始め
高校では野球部の主将
汗にまみれ甲子園を目指す
三兄弟の長男
次男はボートレーサーの山川雄大
三男は読売巨人軍の投手山川和大
役者活動を経て
4年前、ロックバンドで歌い始める
昨年より、Neo歌謡曲を掲げ
ソロシンガーとして活動を開始
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